KOBE MEISTER

広告美術 / 大久保 弘

昭和22年生 北区在住

勤務先:(株)大久保工作所

「看板は口ほどにものを言う」をモットーに、屋外広告の確固たるジャンル形成をめざし、意欲を燃やす。

工作、美術、建設、電気・・・
トータルに技術を駆使して、究極の看板づくりに挑戦。

大久保弘さんの写真  兵庫県加西市生まれ。生後1年も経たずして母が死亡。小学校4年の時、父も亡くなり、18歳年上の兄が農業開拓員として宮崎県に移り住むのについて行った。中学を卒業して、名古屋の繊維染色機械の工場に就職、23歳まで過ごす。「7人兄弟でしてね、16歳年上の兄が神戸で指物大工をやってまして、それを手伝うために神戸にやって来たのが、道を切り開くきっかけとなりました」と、大久保さんは感慨深げに語る。
 その兄が50歳で亡くなった後を受けて、昭和54年、大久保工作所を設立。その2年後に神戸博ポートピア81が開催され、メインゲート、シンボルマークの製作を手がけたことが大きな自信につながった。通常9ミリ程度の鉄板を使用すると、鉄の重みで歪みが生じるのが当たり前であるところを、1.2ミリの鉄板を用いて歪みの出ない方法を考え、ユニークな看板づくりを成功させた。「鉄板の幅が1.5mで、厚さ1.2ミリの鉄板を溶接する時に膨張率を計算して歪みをなくす工夫をしたわけです」と、工夫のポイントを明かす。大久保さんの頭の中では屋外で使用する看板は、単に芸術や美術の範疇を越えて、構造建設物として取り組む必要があるという。ステンレス、アルミ、スチールからプラスチック、木材に至るまで、材質を知り尽くしたうえで、立地条件や予算、用途など諸々の条件を考慮して設計図を形に仕上げていく。
 昭和58年4月、株式会社に改組して半年後、それまでの中央区生田町から長田区二番町に工場を移転、本社ビルを建てるなどして意欲的に操業を続けていたところへ、平成7年、阪神・淡路大震災に遭遇、都心部での作業が困難になり、神戸市北区の現在地へ工場を構えて、伸び伸びと大がかりな仕事と取り組む体制を整えた。

高さ10mに及ぶクリスマスツリーのオブジェ。直径3.5mの輪を何段も積み重ねて、ステンレス製ワイヤに無数のLEDを吊るして実現した21世紀型のクリスマスツリーは歳末風物詩として話題を呼んだ。  10mもの高さがある巨大クリスマスツリーの製作では、従来2日間を要する作業を7時間でやり遂げるという快挙も成し遂げた。「往来の激しい場所で、2日間も作業のために不便をかけられないのです。10mを4段階に分けてあらかじめ、工場生産しておき、部分的にコンパクト化したものを、現場で一気に組み立てるという方法を編み出して、予定の四分の一の時間で完成させました」。スチールの枠を何段階かに分けて、順番に積み重ね、そこにワイヤーを張り巡らせ、発光ダイオードを点滅させる。時代の先端をいくこの巨大クリスマスツリーは冬の風物詩としてテレビの格好の報道ネタともなった。「これが本来の看板の果たす役割だと思うんです。アメリカで荒廃した街が看板やネオンサインなどの設置で、街が活気づき、都市機能が回復したばかりか、明るくなって治安もよくなったという例があります」。そのためには、街の景観にマッチしたデザイン、材質、構造などを考慮することは当然だが、それだけに、屋外広告という業種の確立が必要であると説く。
 大久保さんの仕事は細やかな手作業から、現場での建造工事まで多岐に渡る。次兄が指物大工であった影響も受けて、大久保さんは手先が器用。特殊電動糸のこぎりを駆使して、間伐竹材を利用してたちどころに料亭の食器を作り上げてしまうセンスなど、遊び心も豊か。「看板は単なる表示にとどまらず、暮らしに夢を与える感動のツールにまで高めることがこの業界に生きる者の使命だと思います」。一級広告美術技能士として全国第一号の指定を受けた実績を持つ人ならではの信念だ。

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