KOBE MEISTER

紳士服 / 長尾 安夫

昭和12年生 兵庫区在住

勤務先:紳士服 長尾

運命のままに入ったこの道。「ピリ」を防ぐ技術と独自の計測法で「いい線」を地で行く。

着やすさはもちろん、美しさも命の紳士服を

長尾安夫さんの写真  昭和12年、神戸市長田区で生まれたが、わずか三ヵ月にして、洋服仕立ての仕事をしていた父が27歳の若さにして肋膜で死亡したため、母が乳飲み子の安夫さんを連れて愛媛の実家に戻った。母が再婚して、祖父母に育てられる。地元の中学校から今治西高校の分校の夜間部に進んだころ、異母兄弟の兄がいることを知らされ、会った。兄が亡き父と同じ洋服仕立ての仕事に就いていた。「自分では特に意識しないのに、不思議な運命の糸に操られるような気持ちにさせられました」。兄が勤める洋服店の紹介で昭和29年10月、神戸元町の児玉洋服店に弟子入りすることとなった。夜間高校を1年半でやめて、蛙の子が蛙になった。
 かって父が林田区(のちの長田区)で営んでいた洋服店とはどんなものだったか?郷愁にひたるいとまもないほど、安夫さんは奉公に励み、昼夜をいとわず、技術の修得に余念のない日々を過ごした。9年間が経過したころ、安夫さんは独立を志す。「自分の意思でこの道に入った以上は、自分の力で自分の腕を存分にふるえる場をと決心したのです」。同38年、兵庫区で紳士服「長尾」を開業した。「生後間もなく父に死に別れてますから、その顔を全く知らないのです。写真で見て、ああお父さんはこんな顔をしてたんだなあと思うだけです」。しかし、心のどこかで、その父がいざという時には安夫さんの勇気をふるい立たせた。もの静かな彼が仕事に関しては妥協を許さぬ厳しい人柄に変わる。技術の追求に遠慮というためらいは要らない。道なかばにして父が果たせなかった無念を無意識のうちに安夫さんがはらすこととなる。
 ひたすらに技術を磨くうちに、長尾さんならではの技能を身につけた。それも複数、独自の技術を開発して、着実に地盤を築き上げていく。そのいくつかを紹介すると、紳士服ではその顔ともいうべき、衿前身頃と芯との密着を針使い一つで完成させる方法の考案がある。業界で「ピリ」と言われる型くずれを防ぐ技術で、フロントの美しい仕上がりが約束されるという画期的なもの。一つの技術にとどまらず、次の技術が生まれる原動力となり、長尾さんは型紙を使わずともよい独自の計測法をも考案した。これは、直接生地に製図するというもので、必然的にかなりの時間の短縮がはかれる。また関連して、袖の製図の計測法をも編み出して、どんな体型の人でも修正の必要が殆どないとさえいわれるほどの袖付けのテクニックを業界に打ち出した。さらに、裁断に関しては上衣の袖ぐりや尻廻りの仕様など他には見られない裁断方法で、手足のスムーズな動きを確保して着やすさのポイントとなる技法をも世に出した。
 「洋服は着やすさはもちろん、美しさも命です。長尾さんの作品「神戸ブランドフェスタ2005に出品したスーツ」の写真ズボンのヒップラインの美しい仕上がりを考えて裁断するわけですが、いい線が出せるように全神経を集中させて生地と向き合うのです」。地道な努力が実を結んで、平成5年には、ポルトガルで開催の世界のファションショーに日本代表としての作品を出品したのをはじめ、翌年には紳士服のノーベル賞とも言われる「杉山静枝(せいし)記念賞」を受賞のほか、神戸ものづくり職人大学の講師もつとめて、その技術を次世代に伝える活動も活発に行うなど、その存在がひときわあざやかに光を放っている。

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