KOBE MEISTER

中華料理 / 蔡 秋明

昭和22年生 中央区在住

 

伝統の中国宮廷料理の一方で、トレンディなメニューも加えて人々の舌をうならせる。

味で至福の時間を提供する名人

蔡 秋明さん 昭和22年、神戸のトアロードの西側「広東村」と呼ばれた中国の人たちが集まって住む所で生まれた。「両親は台湾人ですが、父の顔を知りません。母は小学6年の時に死に、姉と共に孤児院に預けられました」。中国の寺として知られる関帝廟の孤児院で育った。本人の出生と同じ年に創業の中華料理店「第一樓」が料理の残り物を差し入れてくれるのが嬉しかった。食糧事情がまだ豊かではない戦後の復興の時代ながら、海ツバメの巣のスープなど珍しい料理も届いた。口に運ぶ前に蔡少年は「卵白の形が何故こうなっているのだろう?」と、考えるのだった。その探求心が後に料理人としての成長につながる。
 中華同文学校から県立長田高校に進学したが、一年生の九月に退学して「第一樓」に就職した。昭和36年の当時は石炭を燃やして調理する時代で、任された仕事は石炭で火をおこすことだった。食器洗いを経て、食材切りをやらせてもらえるようになると、蔡少年の目が輝いた。「見よう見まねで調理方法を自分ながらに身に付けていきました。誰も教えてはくれません。先輩達の仕事を見て自分で盗むわけですよ」。中華料理独特の調理のコツをあれこれ修得し、技術を一つ一つ身に付けていった。
 昭和48年、26歳で先輩の妹と結婚、ますます、意欲を燃やす。「どんなものでも調理出来ないものはない、という中華料理におもしろみを感じるようになりました」。事実、アンモニア臭くてそのままではどうにも食べられない鮫の鰭がフカヒレのスープや姿煮の高級料理に変わる中華料理の妙味である。腕の発揮しどころは十分にある。食材を見る目も優れ、仕入れから調理に至るまで全般に任せられるようになり、蔡さんは水を得た魚の如く働いた。
 特に北京の宮廷料理をベースとする格調高い料理で着実に知名度を上げていく「第一樓」にあって、当然ながら、蔡さんもコース料理を得意とした。季節毎の素材を最大限に活かした調理法をも創意工夫して「これがこの店の味」といったメニューの確立に一役買った。
 昭和から平成へと年号が変わるころ、料理長に就任、神戸でも指折りの有名中華料理店の顔となった。一日400人から700人の料理を、オーダーの種類や顧客の好みを把握して、料理を出すタイミングをシュミレーションして万全を期す。大人数であっても、自らが調理し中華料理の写真ながら、20数名の調理係を束ねて調理場全体を動かしていく。
 伝統料理を大事にするかたわら、独自の料理も考案して、時代の要求に応える。一例として、帆立貝を用いた料理がある。帆立の身を蒸したり、あんかけにしたり、フライや和え物にも。「昔は冷凍物が主でしたが、安価安定供給の時代だから贅沢なバリエーションをお客様に楽しんでもらえるのです」。フカヒレ、海ツバメの巣、生アワビと並んで、人気メニューの一つとなっている。45年の調理人生を振り返って「並みではなく、ちょっと抜きん出ることを目標に頑張ってきたのが良かった」と分析する。蔡さんの料理を口にする時、確かに多くの人がその抜きんでた味に至福の時間を実感して満足する。

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